本場筑前博多織とは、日本三大織物のひとつで、もともとは福岡県の博多地区の特産とされる絹織物です。現在ではその産地は分散されていますが、経済産業大臣しての伝統工芸品に指定されています。江戸時代に福岡藩主であった黒田氏から徳川将軍家に献上されたことから、博多織の中でも特に品質に優れたものを献上博多と呼ぶこともあり、この献上博多は仏具の種類である独鈷と華皿と子持ち縞をあしらった模様が特徴的でよくしられ、献上博多は、現在福岡地下鉄博多駅のシンボルマークとしてつかわれています。

藩主黒田氏によって献上された献上博多は反物と帯で、その色は青、赤、紺、黄、紫の5色となっておりその色合いによって五色献上や虹献上などといわれ、それを表す象徴としては青は刈安染で「仁」を意味し、赤は茜染めで「礼」、紺は藍染めで「智」を、ウコン染めあるいは楊梅皮染の黄は「信」を、そして紫根染めの紫は「徳」を表しているといわれ、縁起がよいと非常に珍重されました。

博多織の特徴としては細めの経糸を多く用い、太い緯糸を筬で強く打ちこみ、経糸を浮かせる手法で柄を織りだしていくのが特徴です。先染めまたは先練りで材料は金糸や銀糸など、また生地自体にはハリ感や厚みを持たせていますので主に帯としての用途が多いでしょう。博多帯を締めるときのキュッとした絹鳴りの心地よさには定評があり、たとえば力士などは幕下以上でないとこの博多帯を締めることは許されていません。

この博多織は、現在ではほとんどが機械織りが主流になってきていますので、産地の博多以外でも福岡県内外に広がっているため、博多織組合が取りまとめをし、博多織の品質管理に努めその水準を証明する証紙などの発行をおこなっています。「博多織」というのは商標にもなっておりその権利は博多組合が有します。

また博多織は一般的な伝統和装としての使用だけでなく、「HAKATAJAPAN」の商標でバックや財布マルイは洋服などにも活用を広げつつありますし、教皇ヨハネパウロ2世の祭服としても日本のデザイナーによって博多織がつかわれたこともありました。

福岡市の周辺では弥生時代初期の多くの遺跡から絹織物が出土しており古くから織物が盛んであったことを示しています。宋から帰国した博多商人が持ち帰った唐織の技術が博多織の始まりではないかとも言われています。福岡藩では品質を維持するために織屋株制度を敷いていましたが、それを12戸に限定したことで高い博多織の品質を維持できていたと考えられました。ですが明治になりますとそうした株制度は廃止され、自由競争となったため業者が乱立し始め、当時、品質の低下を懸念したことで博多織組合が設立され、現在の博多織工業組合と変遷してきたようです。

高度成長期には生産高などが過去最高となりますが、その後のバブル崩壊などで減少に転じはじめました。伝統工芸の熟練技術をコンピューターで再現させるシステムが博多織でも始まり、試作1号品は当時のアメリカ大統領に献上されています。博多祇園園山笠の人形の衣装は2002年に西陣織から博多織に代わりました。現在では博多織職人育成のためにNPO法人が設立され育成に尽力しています。

博多帯は歌舞伎の「夏祭浪花鑑」で、当時の市川団十郎と岩井半四郎に博多帯と筑前絞りを着て演じてもらったことで、その影響が大きく流行となったのが始まりです。さらにさまざまな演目で博多帯がつかわれ、その粋な感じが多くの人も心をとらえました。現在では歌舞伎演目での定番の衣装として多く用いられており、今なお人気の根強い織物として、その魅力が再認識され、人気が再熱してきています。