知花花織とは18世紀より旧美里村知花、現沖縄市の登川地域などを中心に伝わった伝統織物です。知花花織はちばなはなおりと呼ばれ、沖縄県沖縄市知花で作られています。知花花織は布地に花のような文様が織り込まれ、この花織には柄が浮き上がる経浮と、刺繍のように織り込む縫取の花織があります。華やかな文様の連続した幾何学的な模様が特徴の紋織物です。
この花織は祭事の際には着物にして着用されました。そのような風習は現代にも受け継がれています。例えば、旧暦の8月14日のウマハラシーとよばれる男の祭りの馬乗り競争や8月15日のウスデークと呼ばれる女性の祭りの五穀豊穣などを願うイベントなどで着用されてきました。ウスデークの時期にワタジンとドゥージンといわれる衣装を着用し、唄と舞踊が臼太鼓とともに前後半6曲ずつ、合計12曲披露されます。このような伝統イベントを通して花織の伝統が伝えられているのです。
その昔、琉球王国として栄えた沖縄はアジアの拠点でした。花織の里の知花は沖縄本島中央部にあり、王朝時代から交通の要所や首里を守る要地として栄えてきました。アジアの国際交易拠点地として独特の王朝文化を発展させた沖縄には争わないで平和と雅を尊ぶ文化があるのです。その文化はたくさんの華麗な工芸品を育ててきました。この花織は沖縄の琉球王朝のあった大交易時代の中で花咲き、花織の技法が伝えられて現在にいたっています。
五穀豊穣を願うこのような祭事の伝統は、明治以降になるとだんだんと衰えていくようになりました。戦争の影響でお祭りなども行われにくくなっていき、第二次世界大戦後、沖縄が壊滅的な影響を受けるとその技術は途絶えてしまったのです。しかし、1989年に知花花織が100年ぶりに復元され他のです。現在は政府の取り組みなどによって着物だけでなく、ネクタイやポーチなどの小物類なども制作され、花織のスニーカーなどの新しい視点からの製品づくりも活発になってきています。
この織物製品を作るまでには様々な工程があります。まず、デザインを決定し、糸巻きを行います。糸巻は綛(かせ)といわれる木のボビンに巻き取られたりしています。そして、整経という工程で、反物に必要な経糸の長さ・幅を整え、その後染色します。染色は自然由来の素材を使用し、地色によく用いられている紺色を琉球藍で染色します。花模様に用いられる黄色や赤色の色は福木や車輪梅を用いて色出しします。
その後、仮筬通しと.綜絖通しが行われます。仮筬通しはおさと呼ばれる細い隙間板に一本一本糸を通す作業です。織りに入る前の準備段階として行い、本織り工程になると板を外します。綜絖通しでは、板を外した後、綜絖と呼ばれる糸を通します。緯糸を渡すため、上糸と下糸を別々に通し、交互に交差させていくことで布を織り上げます。そして、糸通しを終えた後で、織り機の緯糸を通すために再びおさに糸を通します。上糸と下糸をセットにしておさに通します。図面通りに緯糸を渡す製織工程が行われます。この工程では、経方向に紋を浮かべる経浮花織と、刺繍のように糸を織りに縫い込む縫取花織などをデザインによって織り分けます。その後は布が織り上がるといったん洗いにかけるという洗い張りを行います。その時、布を張り伸ばし、カーブのある竿を布幅に渡すことで縮みを防ぎながら乾かします。そうすることで布の幅と長さが一定になるのです。
知花花織は大変複雑な織りもので、1日にたった数十センチしか織れないのです。多くの手間や時間をかけて織るものが知花花織です。完成した織物は様々な品物に加工され、着物の他にもポーチやネクタイなど素敵な小物なども作られています。