八重山上布は、沖縄県八重山群周辺で作り上げられる伝統の麻織物であり、藍染紺色地の宮古島上布に対して白地に焦げ茶の縞模様が代名詞である事から白上布とも呼ばれています。古来の反物は、絹が非常に高価であった事から次に肌触りの良い大麻が用いられていましたが、上布は大麻や苧麻を平織りした反物です。この上布は、イラクサ目イラクサ科の多年草植物である苧麻を糸として使い、紅露を染料とする反物です。苧麻は、第41代女帝持統天皇や上杉謙信が生産を奨励した繊維であり、茎が1m〜1.5m程度真っ直ぐもしくは斜めに成長する事から繊維が効率良く利用する事が出来る事に加え、栽培する地域の気候が良ければ年間6回の収穫が可能であり、小千谷縮や越後上布にも使用されています。苧麻は、皮を剥ぐと共に茎の芯を外し水に充分に浸し、専用の刃物道具で繊維を採集して糸を紡ぎますが、細かい機織を長年従事した事により視力が低下してしまった高齢者の方が糸を紡ぐ事から上質の糸が紡がれる事が高品質が維持される要因の一つです。紅露は、ヤマノイモ科の染料植物であり、葡萄根の中腹が膨張隆起して根塊となる特徴がある植物です。紅露は、根塊に赤茶色の色素を多量に含有している事から抽出すると共に石灰で媒染する事により赤茶色の染料を得る事が出来ますが、鉄で媒染すると黒味の赤茶色を得る事が出来ます。また、黄色染料である福木や藍色染料であるリュウキュウアイ及びタイワンコマツナギなども染料と利用され、鮮やかなカラーバリエーションの上布も人気です。品質の高さの背景には、琉球が江戸時代初期1609年に薩摩藩の侵攻を受け、1637年に薩摩藩より首里王府に対して15歳〜45歳の女性に対して人頭税が課せられた事に起因し、粗悪な上布は人頭税と認められず再上納が強制された事にあるとされ、当時の厳しい検査の名残りが現在にも継承されています。現在の八重山上布は、スタンダードな経糸数を約1092本として中布や下布及び下下布があった一方で経糸数1600本を上回る上布も存在していましたが、現在では作られる事の無い幻の上布です。この上布は、朝鮮漂流民が書き上げた李朝実録によれば1477年には苧麻を用いた織物や藍染めが行われていた記録がありますが、進貢船の転覆を防ぎ下地首里大屋子に任命された宮古島の元洲鎌の役人の真栄が安土桃山時代1583年に琉球王国第二尚氏王統第6代国王尚永王に綾錆布を献上した事が起源とされています。綾錆布は、八重山上布と同様に苧麻を使った上布ですが、琉球王国第二尚氏王統第6代国王尚永王に相応しい高貴な紫色に染め上げられ、非常に細かい縞模様が施された大名縞でした。八重山上布は、紅露によって染め上げられた経糸に一定のテンションを与え続ける為の重りが設置出来る八重山地方独自の高機を操って織り上げられ、色落ちを防止する為に「海さらし」が行われます。海さらしは、天日乾燥で色止めした上に海水で5時間程度さらす工程であり、白上布の白さをより際立たせると共に紺の色を定着させる効果がある工程です。この上布は、海さらしの後に洗い張りと呼ばれる天日干しが行われますが、8分乾きの状態の反物を木綿で包み約4.5kgの杵で20分〜30分叩き続ける「杵たたき」を行います。杵たたきは、上布を3人がかりで叩く事で蝋をひいた様な独特の光沢や風合いを出す工程であり、美しい上布の仕上げには欠かせない工程です。現在では、竹の櫛で紅露の染料を擦り込む捺染に加え、染めたく無い部分を括る手括り染色が復活し有松絞りの風合いを持つ反物もあり、第二次世界大戦前の八重山上布に戻りつつあります。