友禅染めとは、江戸時代に誕生した伝統的な染色法のひとつで、日本における模様染めの代名詞として世界的にもよく知られている技法の事です。産地によって京友禅、加賀友禅などがあります。
創始者は、江戸時代の元禄年間(1688年~1703年)を中心に京都で活躍した扇絵師の宮崎友禅斎という人物です。加賀国(現在の石川県)の金沢に誕生し(京都との説もあります)加賀染めを学んだのち京都へ出て、洛東、東山・知恩院の門前町に居を構えました。扇工を生業としており、彼が描く扇絵は人気を集めたと言われています。文献で初めて彼の名が登場するのが1682年に書かれた井原西鶴の「好色一代男」で、京都の人気扇絵師として描かれています。その人気にあやかって、彼の画風を着物の意匠に取り入れ模様染めに活かしたものがはじまりです。
当時の時代背景として、幕府から「奢侈禁止令」という庶民の贅沢を制限する禁令が出されており、呉服屋に対して金砂・縫(刺繍)・惣鹿子(絞り)などの贅沢な着物の販売が禁じられていました。友禅染は、糊を使った防染技法のみで色鮮やかな着物を作る事ができたので、この奢侈禁止令をかいくぐるために考案されたとも言われています。
その後の彼の足取りについて多くは分かっていませんが、大正時代に金沢・東山の龍国寺で発見された文献などから晩年は加賀藩の庇護を受けて京都から移り住んだのではないかとの説もあるようです。

一反の白生地から一枚の着物が出来上がるまでにはおよそ20以上の工程があり、非常に手間と時間の掛かる作業です。まずはじめに、構想を練り図案の作成を行ない、それをもとに着物と同じ寸法の草稿を描きます。草稿の上に、反物を着物の形に裁断した仮絵羽(かりえば)と呼ばれるものを重ね、その上から下絵を描きます。この際に使用されるのは、染め上がりに影響しないようつゆ草の花から絞った「青花」と呼ばれる青い液体です。「青花」は水に弱い性質を持っており、水につけると消えていくのが特徴です。下書きは、はじめは薄く、徐々に濃く描いていきます。
下絵を描いた仮絵羽をほどいて、下絵の上から米糊などの防染剤で下絵に沿って正確に細く輪郭線を置いていきます。この糊が生地に染み込む事で防波堤の役割となり、のちに染料を挿しても色がにじんだり混ざったりするのを防ぐ事ができます。筒紙に入れた糊を、指先で微調整しながら輪郭線に沿って常に一定の太さに置いていくのは、熟練の技術に加え絵の知識も必要となる作業です。
下糊を置いたあと水に通すと「青花」が消え、糊の線のみが残ります。こうして出来た線を「糸目」といい、染色後に模様の輪郭に沿って美しい糸状の白い線が残るのが特徴です。
次は、地入れと呼ばれる工程です。ここからは、作業しやすいよう生地を柱と柱の間に渡し引っ張った状態にして作業が行われます。染料が染み込みやすくなるように豆汁(ごじゅう)と呼ばれる、生大豆をすりつぶして作った液を生地に引きます。これにより、染料のにじみを止める効果や染料の発色を良くする効果もあります。
地入れの乾燥後は、「色挿し」と呼ばれる彩色の工程です。糸目糊置きした輪郭で囲まれた模様部分に筆や刷毛を使って染料を染め付けていきます。色がにじんだり混ざり合うのを防ぐため、一つの色を染めたら乾燥させて次の色を染めていきます。
次の工程は、色挿しが終わったあとの生地を高温の蒸し器を使って蒸す作業です。これにより、染料を定着させます。蒸しが終わった生地を水で洗い、生地に付いた余分なものを流します。その後「湯のし」を行ない、生地の風合いを整えます。仕上げに、生地に金箔などを置くなどの仕上げ工程を行ないます。
このように、手描き友禅はその完成までに多くの工程と高度な技術が必要とされており、古来からの伝統に育まれた格調高い着物だと言えます。